今回は、飼っているタナゴの素朴な疑問について
「タナゴ」と「メダカ」を飼っている私。水槽は別々だ。
タナゴ(タイリクバラタナゴ)は自分で釣ったもので、もう何年も家族の一員である。
最初、12尾ほどいたタナゴは、それぞれ、かなり長生きしてくれたが、とうとう最後のオス1尾となってしまった。
狭いかなと思った水槽も、今では豪邸となっている。
広々としているのに、最後のタナゴは隅っこ暮らしになっていた。
水草と水槽の陰に隠れてヒッソリと。
そう、「魚って痛いと感じるのかな?」と思いながら、釣った魚をその場で締めることが多々あるが、「魚って寂しい感情があるのかな?」と、ふさぎ込んだタナゴを見る度に、思うようになった。
「この子が亡くなったら、もう持って帰ってきたらあかんよ。その時は水槽片付けなさいよ」と、親に言われるようになっていた。
日に日に、タナゴは元気がなくなってきた。
「何とかしたい!」と思う気持ちが増していった。
昔、どうしても犬を飼いたいが、親に猛反対されている大親友がいた。
親友が選んだ行動は「商店街の福引で犬が当たった」という設定で、犬を家に持ち帰ったのだ。
犬が当たる福引は、いまだかつて見たことがない。
しかも、まさかの「ゴールデン・レトリバー」だった。
よし、私も強行突破だ!
福引で当たったことにして、増やそうと思ったが、嘘はバレそうだ。
私のタイリクバラタナゴにおけるポリシーは「買うな! 釣れ!」だ(種類や地域によっては、釣ることも飼うこともできないので注意は必要)。
しかし、あまりにも元気がないタナゴを放っておけず、気が付けば、ホームセンターのペットコーナーにいた。
ポリシーを捨て、メスを2尾だけ買った。
そして、水槽にこっそりと入れてみた。
2日間、意外と親にバレなかった。
何年も飼っているオスは大きく、メスはさらに小さい。
「奇数だと、三角関係にならないかな」、「女子が2尾いると強いかな」と、妄想と心配をした。
しかし、3尾は意気投合(←そう見える)。
一緒に仲よくいることが多いのだ。
ふさぎ込んでいたタナゴは、元気に泳ぎ回るようになった。
これは一目瞭然だ。
結論!「魚には寂しいという感情がある!」。
そして、「魚も恋人や仲間の存在は、生きる活力になる!」。