船タコの歴史を紐解く~現在のタコエギブームに至るまで~

寄稿:和田勝也

和田勝也(Wada Katsuya) プロフィール

ジギングやマダコ釣りをはじめ、瀬戸内の釣りに精通する、現在の明石タコエギブームの火付け役的存在。マルキユー・フィールドスタッフ、墨族オクトパッシングスタッフ、アルファタックルフィールドスタッフ、アシスト工房代表

船タコ釣りの歴史を紐解く

今回は、船タコ釣りの歴史を紐解いていきます。

今から10年ほど前から、徐々に人気の釣りとなったタコエギの釣りですが、最初は専用タックルもなく、エギもイカ用のモノなどを改造して使っていました。

それより、先立ってタコテンヤとタコの恋人のコンビで、タコ釣りでのルアー(ギジエ)の有効性が証明され始めていたこともあり、タコエギの将来性にも大きな確信がありました。

私が最初に相談したのが、現在も蛸墨族を一緒に開発しているハリミツさんでした。

最初は、もちろんこんな一大ムーブメントを起こすことになるとは、双方思いもしなかったことで、探り探りではありましたが、船タコ用として使えるタコエギの開発が始まりました。

それでも結果はすぐに現れ、発売開始から大きな反響を呼び、今もなお、パイオニアとして多くの釣り人に愛される商品となっています。

しかし、商品開発以外の点で、大変苦労した部分もありました。

これまでは手釣りが主流

まだまだ発展途上の釣りであり、手釣りがほとんどの世界で、遊漁船での釣りでは手釣りと竿釣りがまじるという、極めて混沌とした状態。産みの苦しみを味わうことになります。

新しい物をどんどん取り入れたい釣り人と、手釣りにこだわる昔ながらの釣り人。そして、釣りをほとんどしたことがない方は、船宿で手釣り道具一式を借りての手釣りとなるので、オマツリを回避しようがない日々が続きました。

特に、最初に私が提案して、エギでのタコ釣りを一緒に開拓していただいた、丸松乗合船の正勝船長には、大変苦労を掛けました。

ただ、船長も私もタコエギでの釣りに大きな手応えを感じており、この先に伸びしろしか感じなかったため、そういった苦労も何とかして解決しようと、日々奮闘してくれました。

この時に、タコエギの釣りではオモリを50号に統一しようということを決め、この流れに多くの遊漁船さんが同調してくれて、取り入れてくれたことが、後の大ブレイクにも繋がったことは疑う余地もありません。

古くからタコ釣りをしていた遊漁船さんは、皆同じ苦しみを経て、今に至ります。

10年前には船中で、ほぼ手釣りだったこの釣りが、今や全員が竿釣りにかわるという、大きな地殻変動が起こり、瞬く間にスタイリッシュな釣りへと変貌を遂げたのでした。

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